舞台・演劇

Prom 31: BBC Concert Orchestra

年に一度の〝お付き合い〟でロイヤル・アルバート・ホールに行ってきました。友人のサイモンが大好きなんだよね。彼は毎年12、3本は聴きにいってんじゃないかな。プログラムは以下のとーり。

  • Gershwin Strike Up the Band (7 mins)
  • Gershwin, arr. Jason Yarde Porgy and Bess - My man's gone now* (BBC commission: world premiere) (6 mins)
  • Jason Yarde Rhythm and Other Fascinations (BBC commission: world premiere) (6 mins)
  • Stravinsky Ebony Concerto (10 mins)
  • Bernstein Prelude, Fugue and Riffs (10 mins)
  • Interval
  • Gwilym Simcock Progressions for piano and orchestra (BBC commission:
    world premiere) (22 mins) 
  • Gershwin An American in Paris (18 mins)

いや、ガーシュインはキライじゃないのよ。でも今回のコンサートそのものはかなりどーでもよかったな。指揮のチャールズ・ヘイズルウッドはぴょんこぴょんこ飛び跳ねててカワイイといえばカワイイけど、管を押さえるのが下手。そのせいか、ときどき音が軽く流れすぎちゃう。「コンサート・オーケストラ」そのものが儂的にはどーでもいいのも、この軽さゆえ。バッハとかビーバーとかやると致命的だもんな。かといってパガニーニやタルティーニをばっちりキメられるほどの技巧性もない。あと、グゥイリム・シムコック(すごい名前)の作品は悪くなかったけど冗長。五分は短くてもいいのではないか。ま、音はキラキラしててきれいでした。

そもそもジャズとプロムの悪いんだよ。ふー。ゴスロックとかシューゲイザー、シンフォニックロックなんかをやったほうがずっといいのに。新規の聴衆も獲得できるしさ。「エピカ」とか「アフターフォーエバー」とかをクラシックからのアプローチで料理するとかいうなら、儂、きっと好奇心でチケ取っちゃうと思う。

Major Barbara

@ National / Olivier Theatre.

ガブリエル・パスカルの白黒映画(確かデボラ・カーのデビュー作)を大学のときに観て以来、久しぶりの『バーバラ少佐』。ほとんど内容は忘れてた。熱心な救世軍の〝少佐〟バーバラが結婚するに及び、「死の商人」である父から遺産相続を承諾し、仕事から身を引くという話。こんなふうに書くとミもフタもないけれど、それが実に重苦しいリアリティを以って矛盾なく物語として成立してしまっているのがすごい。

「害悪の最たるもの、最も悪質なる犯罪とは貧困だ」という名台詞に象徴される、皮肉屋バーナード・ショウの面目躍如たるシニシズムあふれる戯曲。いま観ても全然物語が古びていない。無産階級と有産階級の葛藤を通し、キリスト教的な偽善に対する批判として当時この物語は描かれたわけだけど、宗教がかつてほどの影響力をもたなくなった現在だからこそ普遍的なヒポクラシーへの痛烈な攻撃となっている。実際に貧しい人々を救っているのは救世軍ではなく、彼らに仕事を与えている武器工場のような〝忌むべき〟存在なのだという現実を突きつけられた娘の心の揺れは、きわめて今日的な問題だろう。そしてなおかつ四幕目、武器工場シーンは、それゆえに悪夢のように静謐な凄まじさが漂う。悪に対する力を持たずに善に対する力を持つことは出来ないよ。殺人者だって英雄と同様に母親の乳が育てるんだからね。―― という台詞は、すごく共感できる。

もっとも救世軍のチャリティショップは好きなんだけどね。結構いいものがあるってことはサポーターも多いんだろう。クリスマスの街角管弦楽隊がいなくなっちゃうのも淋しいし。あれは風物詩だもんなあ。

Simon20russell20beale_149jcwoza家庭を顧みることなく、ひたすら金儲けに精を出す父親役がサイモン・ラッセル= ビール(はい、これでなぜ儂がこれを観る気になったかもう判りましたね?)。その妻がクレア・ヒギンズ(二人ともオリビエ賞三個づつ!)。そもそも、このキャストで面白くならないわけがない。それでなくとも二人とも言葉にリアリティを含ませるのが巧い役者だもの。こういう作品は打ってつけ。いやはや堪能いたしました、おまけにロイヤル・ナショナルと『Travelex 』協賛の£10企画だったので、儂が観たS席でさえ£15。シバラシイ。

FAT PIG

ニール・ラビュート脚本演出の新作『FAT PIG』を観てきました。@Trafalgar Studio。儂が追っているのはセクシーな役者(サイモン・ラッセル=ビールとかケン・ストット)だけじゃないのよ。この人の芝居は、まず見逃さないようにしてます。映画はリメイク版『ウィッカーマン』みたいに箸にも棒にも引っ掛からない超駄作もあるけど、舞台はまずハズレがないもんね。

どちらかというと『The Distance From Here』みたいな突き放したように冷たい〝現代の病痢〟を日常的な視点で抉ったものが好きなんだけど、今回はコメディ。しかも『ベティ・サイズモア』みたいなブラックコメディではなくロマコメだと聞いて、一瞬腰が引けてしまったが、うーむ、やはり行かずばなるまいとチケットをゲット。主演が、いまいちばん乗ってるコメディアンの一人ロバート・ウェッブとクリス・マーシャルだというのも大きかった。彼らを生の舞台で観ておくのは悪くない。

結論はというと、これはどうなんでしょうね。ラビュートらしく捻りの効いた脚本には仕上がっていたし、ラストシーンはぐっと胸に込み上げるものもあった。でも、アメリカ的だなあ。いや、描かれる病痢の質が。これはウエストエンドよりもブロードウェイ向きではなかろうか。あるいは日本とか。

人は恋におちる。その理由は様々だ。けれどたいがいは容姿に惹かれて「最初の一歩」が踏み出されることが多いだろう。人の好みは十人十色。蓼食う虫も好き好きではある。それこそFat Pigというしかないような容姿が好きな人だって世の中にはたくさーんいる。が、もし、その人間が若くして社会的にも成功したハンサムさんだったとしたら?……というのがテーマ。物語は順風満帆の人生を送るトムとFat Pigと笑われる図書館司書ヘレンの恋の顛末を追う。

二人の間には何の障害もない。精神的にも肉体的にも性格的にもピッタリと二人は結ばれている。けれど彼女を揶揄する世間、トムの同僚だったり友人だったり元恋人だったりは二人の幸せを許せない。なぜならば「バランスが悪いから」。彼にはもっと美人のキャリアウーマンのほうが「似合うから」。そんなお似合いの恋人を「持つことが可能だから」。パブリックプレッシャーに苛まれ、やがてトムの自我はゆっくりと崩壊してゆく。果たして二人は社会の無言の圧力を乗り越えて、この恋を成就させることができるのか?

結末は書きませんが、最後の五分でラビュート節が炸裂! なかなかグッときます。喉の奥に魚の骨が引っ掛かったような気持ちで劇場を後にしました。いちばんの問題は、あれだな。Fat Pig と馬鹿にされるにはエラ・スミス (基本的に芝居は彼女が攫いました) に愛嬌がありすぎて可愛らしすぎるところだな。あれじゃあデブ専でなくってもモテちゃうでしょう。まあ、だからこそ不条理感が増しているともいえるけど。

God of Carnage

@ Gielgud Theatre。けっこうこの劇場には縁がある。かかる演しものと相性がいい。「観たい」と思わせる作家や演出家の仕事であることが多い。けれど今回は役者に惹かれてチケットを入手。とりあえず、サイモン・ラッセル=ビールと並んで出演作は必ず観るようにしているケン・ストットが大看板だったうえに「おお!タムジン・グレッグ!」「おおお!ジャネット・マクティアー!」と女優陣も素晴らしかったので躊躇なし。もっとも、たぶん一般の観客が目当てにするのはもう一人の出演者であるレイフ・ファインズだろうが。

縁があるといえば、なぜかさほど個人的には興味のないこの役者にも儂は縁があったりする。ここ十年くらい彼が乗った板はすべて観ているのだ。招待だったり、エスクァイアの取材がらみだったり、それこそ他に興味の対象があったり……。で、いつも彼の芝居には感心させられる。期待していないからこそ演技に胸を打たれたり、ファンモードでないからこそ立ち姿の美しさに魅せられたり、まあ、〝いい役者〟ってことなんだろうな。どちらかというと映画向きの演技者であるという儂の感想はかわらないのだけれども。

さて、ケン・ストットを拝むためだけに取ったチケットだったから、パンフレットを買って初めて戯曲がヤスミーナ・レーザだということを知る。しかも演出はマシュー・ワーカス。製作がデヴィッド・ピュー。ありゃりゃこれってウィンダム劇場でロングランを続けていた『Art』のスタッフじゃん。ケン・ストットを見初めたのも、この芝居だった。モダン・クラシックとでもいおうか、台詞劇の快楽が極まったようなコメディ。大好きだった。役者が入れ替わるごとに四、五回は観ている。そして、そのたびがらりと変化する味わいに英国人役者の実力と魅力というものを痛感した。

レーザはフランス人だし、脚本もフランス的なんだけどね。あんなに英国的なピーター・ブルックの舞台が、なぜかフランス人役者によって演じられたほうがより輝きを増すようなものかしらね。不思議。

で、今回の『God of Carnage』も、まさしく英国役者の演技を愉しむための舞台になっておりました。

登場人物は二組の夫婦。それぞれの子どもが学校で起こしたトラブルを解決するために話し合いの場を設けた ―― という設定。と、いっても彼らは子どもの喧嘩に親が出るのは恥ずかしいという常識を持ちあわせた〝現代的〟な親である。どちらかというと遺恨を残さないために「場を設けた」という事実が欲しくて顔を合わせただけなので、どちらのカップルも非常によそよそしい。しかし、そのよそよそしさの間に間に、ふだん夫婦間では抑え込まれている鬱屈が【話し合わねばならない他人】を媒介に滲み出してゆく。

やがて一方の妻が場のストレスに耐えられなくなり、気分が悪くなって、もう一方の妻が大切にしている居間に置かれた画集の上に嘔吐してしまう(ここのタムジン・グレッグ最高。演技派コメディエンヌの面目躍如)。それをきっかけに一人一人の感情が解け、ぶつかりあって連鎖反応のように爆発。会合はヒステリカルな修羅場(Carnage)となる。ときには男女で分かれ、あるいはカップルが入れ替わっての舌戦のなかで互いに互いの配偶者への不満や問題をさらけだす四人。いつもの平和な生活がいかに危ういものであったかを彼らは思い知る……。

幕ナシの九〇分。後半はもう笑いっぱなし。役者たちはみんな素晴らしいのヒトコト。ただただ熱演に陥って叫ぶだけの芝居になってしまいそうなところを見事な抑制と≪間≫で今を生きる人たちが普遍的に抱える現代的な問題を浮かびあがらせてゆく。ただ、ただねえ。ものすごーく満足して劇場を出たあと、登場人物たちと同じようなワダカマリを潜めた自分の気持ちのなかに、なーんのカタルシスもないことに気づいた。たぶん脚本はもう一歩踏み込むべきだったのだろう。トートツに「子はカスガイのアマナットー」みたいな結論を持ってこられて、なんとなく納得してしまうけど、もう、破綻して露呈したものを隠すことはできないのだから。

かくて掌に載せた鬱屈をころころ転がしながら矯めつ眇めつ、これを書いている儂であった。

The Minotaur

こないだの『Salomehttp://athico.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/salome.html に引き続き、またもRoyalで、またも血塗れオペラを観てまいりました。『The Minotaur』。ロイヤルオペラの新作です。作曲はハリソン・ブリットホイッスル(この段階で相方は脱落(笑))。脚本はデヴィッド・ハーセント。牛頭人身の怪物、ミノタウルスの物語。オケの指揮をロイヤル音楽監督のパパーノが取っていたりして、たぶんそれなりに気合の入ったプロダクションと申せましょう。

あ、よく考えたら、ロイヤルで観る初めての英語のプロダクションだな。

で、もちろんモダーンな譜面ではあるんだけど、全体的な作りが完全にギリシア悲劇のスタイル。舞台装置も円形劇場を思わせるシンプルなものになっており、迷宮の奥のミノタウルスの住処には彼の心象(というか情動だな)を表現する仮面のコロスが配されていたりして、「なにか実験的なものを観せられている」といった感じはありません。むしろ超古典的なものに触れている気がしたな。旋律そのものが、まるで歌舞伎の抑揚を振幅させたような〝肉体的〟な質感を持っていて、それは人間の声に潜む強い力の触媒の役割を果たしている。そういえばパーカッションを多用した構成も、まるで歌舞伎の打ち出しのよう。テーマも相俟って、まるきり鶴屋南北作の時代ものの一幕を観賞しているような高揚に人を誘う……。

ミノス島に生贄たちを乗せた黒い帆船が辿り着く発端は少々眠かった。けれど、ミノタウルスが登場してからの血みどろ歌舞伎は、もう、大大大好きな世界。第一の生贄が殺されるとこなんて、少女をレイプして殺害する「あぶな絵」のごときシーンになっている。残る生贄たちの殺戮シーンもまたすごい。いずれも様式化された動きにはなっているんだけど、それゆえに生々しい。人を殺さずにはおられない怪物となってしまった我が身を呪うミノタウルスの痛々しいほどの慟哭のアリアが、あるときは咆哮となって、あるときは予感、あるときは祈りとなって迸り、その殺戮を飾るとき、この悲劇の残酷美が暗黒の輝きを得て起ち上がる。死を待ち望みながら殺戮を続けるミノタウロスは、ある意味、現代的なキャラクターでもあるんだなあ。

ミノタウロスはジョン・トムリンソン。まさに脂の乗り切った声。決して不世出ではないし器用でもないけれど間違いなく現代英国を代表する歌手。怪物の哀愁をここまで歌で表現しきってしまうのは、やはりタダモノではない。毛むくじゃらのボディスーツと被りものは、下手すればお笑いになってしまいかねないところだが、彼が歌っている間はほんものの怪物に見えた。恐ろしいことにセクシーですらある。儂は心のなかで「キャー!儂も殺してー!」と叫んでいたが、それは内緒。

テセウスはヨハン・リューター。まさに美丈夫。まさに正統派。ええ男やー。しかも最後ミノタウロスとの戦いのシーンではシャツを脱いでムクムクした体を拝ませてくれる。そして声がもうすでに英雄の声。惚れ惚れする。もーツヤッツヤなの。彼の『指輪』が観たいなー。と、ちょっとばかしファンモードに入ってしまった儂でありました。しばらくおっかけてみるかな。ふふふ。

その他のアンサンブルも上出来。アンドリュー・ワッツ始めカウンターテナーの多用(これは近ごろの流行だよね)とか、男女のキャラクターの入れ替えとか奇を衒ったあざとい演出もあるが、さほど気にならない。ちゃんと神話的世界の混沌のメタファーになっている。ミノタウロスの前に倒れた生贄たちの息の根を止める【死の運命】=ケールの造形がとくに面白かった。大きな片翼の鳥のバケモノで、本来それこそカウンターテナーの役だと思うのだが、これを演じたのはアマンダ・エチャラズ。飢えた黒いハゲタカのごとき姿で、浅ましく動き回りながら澄明なソプラノを撒き散らす倒錯はなかなかのもの。舞台の最後も、彼女の鶴の一声ならぬ一啼きで暗転するんだけど、これはいい演出でした。

Salome

シュトラウスの『Salome』を観てまいりました。@ひさびさのコベントガーデン。しかし、ロイヤル公演とはいえ、なんとも国際色豊か。タイトルロールのナディア・ミシェルがポーリッシュ。ヨカナーンのマイケル・ヴォールがドイツ人。ヘロデのトマス・モサーがアメ公で、軟弱(ナラボスに付く枕詞)ナラボスのジョセフ・カイザーがカナディアン。みなさん初見でござんした。

儂がこれを観る気になったのは、そんなわけでキャストに惹かれてではありません。この作品が好きだからでも、ものすごくよい新聞評が載ったから(そのせいでキョーレツなチケ難だった)でもない。ひとえにひとえに演出のデヴィッド・マクヴィカーが大好きだからです。あ、この人は英国人ですね。

マクヴィカーといえば、サドラーズ・ウェルスで観たオペラ・ノース版『Sweeney Todd』が出色でございました。儂がいままで観たなかでも最高のトッド。たぶん、いままで観たミュージカルのなかでも最高の舞台かもしんない。舞台上をホンモノのヴィクトリア朝の幽鬼がさ迷い歩いているような、異様な空間を構築してしいました。このあと、やっぱりコベントで観た『Faust』『Regoletto』がまたスゴくて、ENOの『Carmen』や『Giulio Cesare』もまた鮮烈で、みごとにハズレなし。だから、なるべく追っかけるようにしてるんですね。

とにかく、この人は退廃や倦怠を描かせると天下一品。今回もサロメの背景にのたうつワイルド的ビアズレー的な華麗なる終末感や、歪んだものの美しさを完璧に具現化。バンケットホールの地下の屠殺室を舞台に繰り広げられる四世鶴屋南北もかくやの血塗れオペラでした。

いや、もう、その血塗れ具合ときたらすごかったです。ナディア・ミシェルが美人なうえに稀にみる芝居巧者だったので、情景はいよいよ凄惨。生首と戯れながらのホーエツラッパの場に耐えられなくなったジジババ続出! 儂が気づいただけでも五人ほどが劇場を去ってゆきました。最後、首切り役人(オールヌードの禿マッチョ)がサロメの首を折るシーンでは前に座ってたオバサンが貧血起こすし、もー大変。そういえば役人がロングコートを脱いで全裸になるところでは、彼女、思い切り身を乗り出して(彼女の名誉のために付け加えれば、ほとんどの観客がそうだったのだけど。いわゆる「ジワがくる」ってやつでんな)いたなあ。ひょっとして貧血じゃなくてイッっちゃったのかしらん(笑)。

そんなわけで、いましばらくはマクヴィカーの追っかけ継続決定。『魔笛』のDVD http://www.amazon.co.uk/Mozart-Die-Zauberflote-HD-DVD/dp/B000V78BOY/ref=sr_1_4?ie=UTF8&s=dvd&qid=1205811822&sr=1-4 も迷ってたけど買うことにしようっと。これ観はぐっちゃってたんだよねー。

Aida

@ Coliseum. ENOのニュープロダクション。劇場は満杯こでした。

うーんと、まあ、〝よくできた失敗作〟って感じですかね。愉しめはしたけど名作とは言い難い。それにドレス・サークル後方の端っこ席で£65は高い!

ラダメスのジョン・ハドソンは弱い。アイーダのクレア・ルッターは可もなく不可もなく。なにより影の主役アムネリス様をやったジェーン・ダットンにちーとも迫力がない。檀れいのがマシなくらい(って観てないけど)。

あ、象はよかった。このオペラの醍醐味は二幕終わりの凱旋シーンだと思うんですが、その「華」である象がちゃちいと、もう、そこでぐーんとポテンシャルが下がっちゃうんだよね。これまで観たアイーダの中でも今回の象は出色でした。形式的には中国の獅子舞っぽい人櫓なんだけど、大人数でやると迫力がある。

それからコスチューム! セットはともかくザンドラ・ローズのキッチュなデザインはなかなか斬新でした。が、PANTOみたいといえばPANTOみたいだったな。まあ、クリスマスも近いし、いいか。

しっかし普段、儂が行くタイプのワグナーとか理屈っぽいオペラとは客層がぜんぜん違ったな。「社交」の匂いがぷんぷんしてた。