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Happy-Go-Lucky

大好きなマイク・リー監督の新作。この前の『Vera Drake』から、もう四年も経ってるんだね。時の流れは早いものよ。大作『Topsy-Turvy』のあとにティモシー・スポール主演のジェントル・コメディ『All or Nothing』がきたように、五〇年代の女性の中絶問題をテーマにした重苦しいドラマに続いての今回は本領であるフツーの人たちのフツーの暮らしの中に起こるフツーの出来事を丁寧に追った、いわゆるKitchen Sinkもの。

そーれにしても、みごとに物語らしい物語がない。彼のこっち系統の作品の代表といえば『秘密と嘘』になるんだろうけど、さらに削ぎ落とされている。もちろん、それなりに主人公のうえにスッタモンダは降りかかるわけだけど、どこにも誇張された部分がない。舞台がうちの近所ということもあって、見慣れた風景がいっぱいでてくるもんだから (最後のシーン、主人公がボートを漕ぐ池はうちから歩いて五分のとこにあるフィンズベリーパーク) 余計に当たり前感が漂う。

そんなわけで粗筋を書くのも難しいんだけど、主人公のポピーは30歳になる独身の小学校教師。文字通り「Happy-Go-Lucky」を絵に描いたような楽天的な性格。ハデーな服を着て、ものごとを決して悪い方に考えない彼女は生徒にも回りの人々にも愛されて幸せな生活を送っている。映画の冒頭で彼女は自転車を盗まれちゃうのだが、その時だって、困りはするし腹を立てもするのだけど、むしろそのハプニングを楽しんでいるかのように笑顔を絶やさない。

だが、そんな彼女を「信じられない」人たちもたくさんいる。実の妹だったり、自動車の教習官だったり、浮浪者だったり、暴力的な問題児だったり、それぞれがそれぞれの理由で彼女の幸福を信じようとしない。なぜならば信じてしまったら、それは自己否定になってしまうから……。ポピーは、けれどそんな人々を理解したいと思っている。「救ってあげたい」とか「気づかせてあげたい」とか大それたことを夢想しているのではなく、ただただ解れるといいなあと接触を試みる。せっかく縁があって関りを持った人たちだもの。と。

けれど結局のところ自分を助けられるのは自分だけなのだ。ペシミストにつける薬はない。心の傷は己で癒すしかない。ポピーの奇妙な情熱と能天気なアプローチは、それゆえ彼ら彼女らが目を背けているものを照らし出してしまう。映画のなかで提出される様々な問題 ――物語―― は、だから解決されないでそのまま観客に委ねられエンドマークへと至る。

儂らはドラマの中で生きている。一人一人がドラマを抱えて右往左往している。マイク・リーはポピーの視点を通して、それだけを主張する。さあ、あなたの手で、足で、あなたのドラマを完結させなさい。大丈夫。この世界は、そんなに悪いもんじゃない。そんなふうに微笑みかける。

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