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The Golden Compass

観たのは昨年の末。なんかタイミングが合わなくて書きそびれてました。観てすぐの感想とは味わいが変わっている気もするけど、たまにはそんなのもいいでしょう。

観た直後も、いまも変わらずに思うのはこの作品が非常に今日的な視点で描かれたファンタジーであるということ。そしてきわめて英国的であるということ。とにかく知的な遊びが多い。それが寓意にまで至っているものもあれば、ただのインテレクチャルな賑やかしに終わっているものもある。もっともフィリップ・プルマンの原作に散見される反キリスト教的(ともとれる)な善悪基準への挑発はことごとく、あるいは丁寧に取り除かれている。ので、それらの論理的な拠り所としてしばしば用いられるグノーシス主義的思想や、発露の場として設けられたミルトンの『失楽園』に原型を求めた世界造形などは、その時点で物語のデコレーションに墜ちてしまっているのも致し方ないか。

ただ、「この世に、絶対というものは存在しない」という主題はしっかりと印象に残る。これは小説を読んだときも同じように感じたので、決して失敗作というわけではない。と、思う。

役者陣もなかなか。ニッコール・キッドマンは、もともとプルマンが彼女を想定してキャラ造形しただけあって当り役。豹の【ダイモン】を従えたダニエル・クレイグもバビル二世みたいでかっちょいい

ところで、この作品の〝萌えどころ〟のひとつにこの【ダイモン】がある。これはこの世界の住人たちが常に行動を共にする、いわば精神的な分身で、様々な動物の形態をとっている。〝魂〟というか、それとも外付けハードディスクみたいなものか。公式サイトhttp://www.goldencompassmovie.com/ には、いくつかの質問に答えると自分のダイモンがわかるというお遊びもある(ちなみに儂はAdititという名のトラであった)。

で、このダイモンは必ずや異性だという設定になっている。もちろん、これはグノーシス主義の二元論に基づいた設定なのだが、これを聞いて友人の孫(10歳)が問うたのだそうな。

ゲイの人でも、ダイモンは雌なの?

ゲイでもへテロでも、どんな人のなかにも男性性と女性性があって、それが本人の性別として現れているのと反対のジェンダーを持たダイモンになって出現しているわけなのよ。セクシャリティとジェンダーは別の問題なの。―― と、10歳の子どもに説明するのはどうすればいいのか判らなかったワ。と彼女は笑っていた。しかし、こういう疑問を日本の子どもは持てるんでしょうかね。んで、日本のおかあさんたちは、彼女みたいにちゃんと認識できているんでしょうか。「健全」というのは、そういうことをいうんだと思うんですが。

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