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Okini040rainbow_flag_koto_design レインボー・フラッグ 行為, デザイン,

またの名を「Pride Flag」。「Freedom Flag」と呼ばれることもある。1978年にサン・フランシスコ在住のアーティスト、ギルバート・バーカーが考案したLGBTを象徴する虹の旗である。赤は人生を、オレンジは癒しを、黄色は太陽を、緑は自然を、青は調和を、紫は精神を表している。オリジナルはアートのターコイズとセクシャリティのピンクが加わった8色だった。が、経済的かつプラクティカルな理由から現在の形に収まった。これらのキーワードはゲイの嗜好(志向)を表現しているわけだけれど、今日ではそれ以上に本来の意味を超えて「ハーモニアスな共存」を意味している。オリンピックの旗と同じ理念なんだよね。

儂自身は、これを自宅の窓からぶら下げる気はない。けれど、八百屋だの眼鏡屋だのといった普通のお店がこのステッカーをドアに貼っていたりすると、やっぱりそれだけで安心感と連帯感を感じる。「買おう」って気になる。そういう意味では経済的な行為。日本ももっと取り入れるべきではなかろうか。とくに外国人客が多い店は効果があるはず。

アイアンマン

そろそろマーベル原作のアメコミ映画もネタ切れじゃないかと思うのだが、なんやかやと毎年新作が封切られる。が、興行的には大成功しても映画として完成度の高いものはほとんどない。『Xメン』三部作と天才ギレルモ・デルトロ監督の『ヘルボーイ』くらいだろうか。

と、そんなところに地味ながらなかなか面白い映画が登場した。『アイアンマン』。である。

マーベルに限らず、今日びの特撮大作のヒーローはスタア俳優、もしくは若手演技派アイドルが主流。出演陣が豪華でないと虚構{ウソ}を虚構{ウソ}として楽しめないからだ。最近なら『クローバーフィールド』や『グエムル』みたいに、よほどの新味がないと無名キャストではシラケてしまう。

『アイアンマン』の主人公を演じるのはロバート・ダウニーJr。スタアというには微妙な位置。若手にもアイドルにも程遠い。けれど確実に演技派ではある。かつて本物だったせいか(笑)イッちゃってる系の役は抜群にうまい。今回も「正義の味方」でありながらエキセントリックな自己チュー天才科学者というアクの強いキャラを楽々と演じている。

加えてヒロインにグゥイネス・パルトロー、敵役にジェフ・ブリッジスという芝居巧者を起用。おのおのに演技の〝しどころ〟も用意され、映画好きが満足できる作品となった。むろん荒唐無稽ではあるのだが、演技クオリティが虚構{ウソ}に妙なリアリティを与えている。

ダウニーJrはヒーローらしくないどころか、いい人であろうとすらしていない。そんな彼とブリッジスとのギリシア悲劇的な父と子の葛藤は、ありがちな勧善懲悪の枠を越えて胸に迫る。

また、主人公が拉致された粗悪な環境で作るプロトタイプ戦闘ガジェット(『鋼の錬金術師』のアルみたいで萌え)の〝なさけなさ〟や、試行錯誤の末に至った空を飛ぶときのキューピーちゃんポーズの〝おバカ〟な感じなどのディテールがすこぶる愉しい。

つまりは映画が見た目だけのカッコよさに縛られていない、「ヒロイズムの嘘」の犠牲になってないんだよね。特撮ファンでない人たちにこそ映画館に足を運んでほしい作品である。

ヘルボーイ Ⅱ

決して名作じゃない。傑作でも快作でもない。かといってB級でもないし超大作ってわけでもない。なのに、こんなに愉しんじゃっていいんだろうか? というくらい儂は満足して映画館を出たのでありました。うーむ。この感じ、いつかどこかで味わったことがあるゾ……と考えていたら、はい、思い出しました。初期のブライアン・デ・パルマ映画を観たあとの感覚に似てるんだわ。『アンタッチャブル』以前の、「映画を撮るのが大好き!」という情熱がスクリーンから匂い起たんばかりの、それゆえにバランスの悪~い作品群。いや、デル・トロのほうが才能はあると思うけどね(笑)。

それにしても、たくさん予算が貰える監督になったんだねえ、という感慨がひしひし。特撮濃度はいままでの彼の作品中でも最も高い。なにもそこまでってくらい、もう、ぴっちぴち。プッチモニじゃなくってよ。あ、もっちもっちもっちもちっと (By 峰子)、でもなくってよ。しかし、そういう作品にありがちな〝特撮に頼った〟感じがないのがエライ。お話は他愛ない。はっきりいって粗筋を紹介するほどじゃない。矛盾もたくさんある。それでも、えーもん観せてもろたーって気がします。

たとえばバケモノ市場のシーンとかすんばらしいのよ! スターウォーズの第一作を観たとき、宇宙人酒場のシーンに胸を躍らせたものだが、あのときの感動が蘇りましたですよ。ヒエロニムス・ボッシュの絵画世界を踏襲しているようで、まるで、そこはリアル快楽の園!感激です。バケモノたちの造形だけではなく、作品全体を通しての色彩なんかもかなりボッシュを意識してるんじゃなかろうか。どうやらⅢも作られそうな予感 (伏線アリ。もっともデル・トロはこれからしばらく『ホビット』にかかりきりだろうけど) だが、ぜひともこのまま突っ走っていただきたい。

『PLuS+』!

ひさしぶりに手を引いて……じゃないや、ひさしぶりに日本に帰ります。なんと二年半ぶり。

もー最近は12時間がキツくって、なかなか踏ん切りがつかなかったんですが、このたび『PLuS+』という、とても意義あるイベントにゲストスピーカーとして招待していただいたので、ついその気になりました。詳細は以下のサイトからゲットしてね。儂はともかくシモーヌ深雪さまとかマーガレットさまも御出座しなのよー。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=41602
http://www.mash-osaka.com/plus/

てなわけで10月12日。扇町公園 (大阪市北区扇町1-1-21)でお会いしましょう!

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PLuS+ Super Session
-Get Over It “ピンクポンドが席巻するイギリスからのメッセージ”-

ゲスト:入江敦彦 聞き手:マーガレット、山田創平

イギリスの同性愛者を取り巻く現状や、消費活動についてリポートした『ゲイ・マネーが英国経済を支える!?』の著者である入江敦彦氏をお招きしてお届けするトークセッション。日本のゲイカルチャーに造詣の深いMARGARETTE嬢と、大阪のゲイコミュニティ規模の推計に挑む社会学者の山田創平氏を交え、日本のゲイコミュニティの現状と未来について考えます。ちょっと早めのTeaBlakeを取りながら、軽妙かつ深いトークをお楽しみ下さい!!

*「入江敦彦」(イリエアツヒコ)エッセイスト。現在はロンドンでイギリス人のパートナーとともに暮らしている。生粋の京都人ならではの視点と鋭い筆致で京都の深層を描き話題を呼んだ『京都人だけが知っている』シリーズをはじめ、『イケズの構造』『怖いこわい京都、教えます』『京都な暮らし』『京味深々』など。ほかに英国の文化と生活に関する著作も多数。

*「MARGARETTE」(マーガレット)DragQueen。まさに“女王”の名に恥じぬ、当代一の美貌(かつ、最古の)ドラァグクィーン。プライドはいかなる山よりも高く、“業”は七つの海よりも深い。その生きざまに泣く子は黙り、へそは茶を沸かす。活動は雑誌、TV、映画、ミュージシャンのPV、企業のキャンペーンと幅広く、クラブイベントではSalon Kitty Fire 2099@Ruins23、RING@Warehouseにレギュラー出演。

*「山田創平」(ヤマダソウヘイ)社会学者。現在、(財)エイズ予防財団リサーチレジデント。また、京都精華大学、京都産業大学非常勤講師。名古屋大学大学院博士課程修了。文学博士。厚生労働省所管の研究機関、及び民間のシンクタンクで研究員、リサーチ・フェローを務めた後、2006年より現職。専門は都市社会学、地域における感染症対策


Night Talk Session ~どぉなん!?~

21:30~22:30

昼のステージでは喋れなかった?!ホンネもちょこっと交えて、お届けする真夜中前のテーブル・トーク。日々の暮しの中でゲイとして感じる「よう、わからんもん」への熱い想いを時間の許す限り、激しくセッション!ここだけで聴けるレアで、ディープなトークを、ぜひお聴き逃しなく……。

トーク:入江敦彦、マーガレット、中西カオル、鬼塚哲郎(MASH大阪代表) 

ハナムプトラ3

インディ・ジョーンズに続いて「あーあ。なんで続編を作っちゃったかね。溜息」第二弾。中国なのに「ハナムプトラ」とは、こはいかに? ミイラを意味する「Mummy」って言葉の響きが、日本人にとっては可愛らしすぎるから? それとも「毎日、マー! みんなでミー! 毎日みんなでマミー!」だから?

いや、ブレンダン・フレイザーはまださほど年寄りというわけではないのだが、せっかく童顔を克服して本格的演技派俳優の評価を得たというのに、なんというかこの作品に出てしまったせいでそれが台無しになっちゃった気がするな。レイチェル・ウェイツがエヴリン役を降りたのは、前作から本作までの間にオスカーを貰ったからじゃなくて、脚本がツマらなかったからではないかと思われ。ジョン・ハナ、……ジョン・ハナの続投はきっとフレイザーが好みのタイプだから、彼と一緒に仕事したかったんでしょう(笑)。

特撮は、よくできてます。というか、あまりにも特撮の技術が上がりすぎてしまったために、どんどん肝心のドラマが弱くなってるよね。この映画に限らず一般的に。『ロード・オブ・ザ・リング』みたいに、花も実もある作品というのはなかなかない。

ちなみに本作の最後に、もう次の作品のヒントが。どーやらペルーを舞台にするらしい。世界ミイラ巡りの様相を呈してきたな。日本にもくるかしらね。即身仏とかあるもんね。

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Okini039bubu_arare_narumiya_kyo_foo 鳴海屋の「ぶぶあられ」 京都, 食,調味料, ごはん,

京都人はお茶づけが大好き。チンチロリンと茶碗を鳴らして朝な夕なにかっこんでいます。てなことをいうと「ああ、京つけものは美味しいものねえ」とか思われる方が多いかもしれません。が、そんな高級品をケチンボウな彼らが日常的に食べるわきゃない。基本は黄色いおこうこ。夏は胡瓜の,冬場は白菜のどぼ漬け。それから、せいぜい塩昆布といったところで充分に満足しています。あとは奈良漬けがあればサイコー。なんですが、個人的には『鳴海屋』の「ぶぶあられ」をラインナップに加えたい。この歯応えがプラスされるだけで、すんごいご馳走感があがる。

お茶漬け以外にも、クルトン感覚でサラダに散らしたり、衣にして揚げ物に使ったり、おつゆの浮き実にしたり、ほんとうになんにでも応用できます。和えもの、酢のもの、お造り、炒めもの、なんにでも振り掛けちゃう。おむすびにまぶすのも好き。保存瓶に入れて台所に常備してます。香ばしさを足すための調味料と考えることもできるんじゃないかしらん。『鳴海屋』さんのおかげで京都では比較的どこででも手に入るけれど、いざとなったら道明寺粉を空炒りして自家製することも可能。

『鳴海屋』 http://www.narumiya.co.jp/index.htm

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Okini038kagoshin_kakehana_mono_kyo_ 籠新の掛け花 京都, 店, インテリア, 植物, 装飾,

指が緑でない人間なのだが、それでも庭があればなあと思うときがある。ひとつは犬を飼いたいなあと夢想するとき。そして、もうひとつは掛け花にちょんちょんと茶花、もとい山野草、もとい雑草を活けたいなあと考えるときだ。とにかく掛け花に投げ入れると、たいていの植物はかっちょよく見える。そして、掛け花が飾られていると、ずいぶんと部屋の見映えがよくなる。いまはもっぱら人様の前庭からはみだしたり、公園の片隅に繁っている雑草をいただいてきているのだが、自分ちの庭なら遠慮なく切ってこられる。欲しいなー。庭。

そんなわけで、けっこうこのアイテムは数を持っている。とりわけ『籠新』さんの曲げ竹掛け花はお気に入り。シンプルだが個性があり、それでいてヴァースタイル。どんな草花とでも相性がいい。五代目主人、森田さんはなににもまして京が誇るべき職人技の使い手のひとり。まるでマジシャンのように竹細工を紡ぎだす。あらかじめプランを立てたりせず、素材の意を汲んで指の赴くままに作ってゆくのだと彼はいう。その過程で、なにか魔法めいた成分が含まれるのかもしれない。

『籠新』 〒605-0011東山区三条大橋東4丁目北側

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Okini037suguki_kyo_food_trad_veg_piすぐき 京都, 食, 野菜, 伝統, つけもの

京都を代表する味覚のひとつに「すぐき」があります。たぶん、よそさんが想像している以上にこのおつけものは彼らにとって重要な意味を持っています。いろんな店がありますが、あまりブランドには拘りません。冬場に上賀茂の辺りを散歩すると、農家の軒先で売られていたりしますが、そういうのを買うのが儂も好きです。写真は『谷寛』さんの前庭風景。〝押し〟の真っ最中です。酸っぱい匂いがプンと漂い、それだけでなんとも嬉しい気分になります。

四百年くらいの歴史があるようですが、かつては『上賀茂神社』社家が独占していたそうな。あとは宮廷への献上品のみ。一般に広まったのは明治以降。この一帯に火災があり、その復興を目的に市中で売り出されたのがそもそもだとか。それを機にモノポリーが解かれ、種子も頒布されるようになったらしい。当時被害に遭われた方々には申し訳ないが、ありがたーいことです。

夏の完璧ごはん

Natsu_no_kanpeki_syoku夏バテて、儂、よう知りませんねわ。暑いしゆうて食欲がのうなるゆうことがありません。むしろ暑いときにこそ美味しいもんとか、暑いときに旬がくるもんとかのことを考えるとむしろ食欲が増すくらいです。だいたい智恵子の東京に空がないくらい英国には夏がおへんよって。そんなわけで、さほど冷やこい食べもんを体が欲さんのもホンマやけど、そやからゆうてさすがに夏場はあんまりコッテリしたもんは受けつけません。これは暑さのせいゆうより歳のせいやろかね。

そんな儂が夏のあいだ中、毎週みたいに繰り返すメニューがあります。これは、もう完璧やと自分では思うてます。

まずは、茄子の煮浸し。茄子は半割り。亀甲に飾り包丁を入れて胡麻油を敷いたフライパンに並べ、蓋をして極弱火で1時間くらいかけてじーわじーわ焼いていきます。この間にあと2品。胡瓜もみ白菜の炊いたん。胡瓜揉みは「ざく」。そらほんまは「きゅう」がよろしおっせ。そやけど鱧は英国ではどんならんもんのひとつですねん。

胡瓜はスライサー(こっちゃでは「マンダリン」て呼ばれてます)で薄切りにして塩をまぶして、ざるの中で自然に水けが抜けるのを待ちます。買ってきた鰻の蒲焼(真空パックのが日本食材店に売ってるんですわ)をあらかじめオーブンで炙りなおして冷ましといたんをザックザックと千切りにして、適度にしんなりした胡瓜を流水で洗い丁寧に塩抜きしたもんと合わせます。味付けは出汁醤油と米酢を半々に割ったもん。タッパに入れて冷蔵庫へポン。

次は〝たいたん〟。まず出汁醤油に花鰹を足して鍋で沸かし、お砂糖を大さじいっぱい加え、そこに千切りにしたお揚げさんを入れてひと煮立ちさせます。ここに巾2cmほどに切っておいた白菜を白い硬い部分から順に投入。蓋をして強火でぐらぐらくるまで炊きます。あとは火を弱めて白菜の量が半分ほどになるまでほっときます。ええ塩梅に炊けたら火を止めて生卵をポンポンと割りいれ、蓋をもどして、ハイ、できあがり。茄子の煮びたしが完成するころには温度卵っぽくなっています。ちなみに、これは室温で食べるのがええと思てます。

さあ、茄子が焼けました。ここでまたもや出汁醤油の出番です。強火に戻してフライパンをじょわーんといわせましょう。おしょゆうも大さじ三杯くらい足します。ピリカラにするときは、ここで種を抜いたタカノツメを潰し入れます。出汁が半分くらいまで煮詰まったら完成。火を止めてフライパンが冷めるまで放置プレイ。冷めたら、やっぱりタッパに移して冷蔵庫へ。―― と、ここまでを朝ごはんの後にやってまうんですわ。ここがポイントやと儂は思てます。ほしたら、あとは食べる前にごはんを炊いて、煮びたしに散らすネギか青紫蘇を刻むだけでしょ?

たいたんが汁っぽいさかい、とくにおつゆはいらんのやけど、どれも出汁醤油系の味なんで、目先を変えるためにこのメニューのときはお味噌汁をこしらえます。ほんまは茗荷がええんやけど、それは無理。第二候補は蓴菜! やけど、これも無理。なんで、湯葉かお豆腐に落ち着いてます。

そや、いっぺんこのラインナップにヴィシソワーズを組合わせたことがあったけど存外イケました。けっこう、あの冷たいジャガイモのスープはごはんに合いまっせ。おつけもんは胡瓜も茄子も白菜もかぶるさかい沢庵。濃ううに淹れた冷たい煎茶を用意して、はい、いただきまーす。

Natsu_no_kanpeki_syokukuzu ところで、この晩ごはんのデザートはスイカとかマッカ(京都人はプリンスメロンのことをそない呼びます。「まくわ(瓜)」からきたもんでしょう)が定番なんでしょうけど、そうは問屋が卸しまへん。どんな問屋や知りまへんけど。そやかて、ほとんどお精進ですやん。このメニューて。と、そこでこさえますもんは「くずまんじゅう」ですねわ。こっちには白隠元の水煮缶が安うでようさん売ってまして、これを甘煮にして裏漉した餡を和三盆で甘くした葛でくるんだもんです。形は悪おすけど、けっこういけます。

そら、「松屋常盤」さんとまでは申しまへんけどな(笑)。

Prom 31: BBC Concert Orchestra

年に一度の〝お付き合い〟でロイヤル・アルバート・ホールに行ってきました。友人のサイモンが大好きなんだよね。彼は毎年12、3本は聴きにいってんじゃないかな。プログラムは以下のとーり。

  • Gershwin Strike Up the Band (7 mins)
  • Gershwin, arr. Jason Yarde Porgy and Bess - My man's gone now* (BBC commission: world premiere) (6 mins)
  • Jason Yarde Rhythm and Other Fascinations (BBC commission: world premiere) (6 mins)
  • Stravinsky Ebony Concerto (10 mins)
  • Bernstein Prelude, Fugue and Riffs (10 mins)
  • Interval
  • Gwilym Simcock Progressions for piano and orchestra (BBC commission:
    world premiere) (22 mins) 
  • Gershwin An American in Paris (18 mins)

いや、ガーシュインはキライじゃないのよ。でも今回のコンサートそのものはかなりどーでもよかったな。指揮のチャールズ・ヘイズルウッドはぴょんこぴょんこ飛び跳ねててカワイイといえばカワイイけど、管を押さえるのが下手。そのせいか、ときどき音が軽く流れすぎちゃう。「コンサート・オーケストラ」そのものが儂的にはどーでもいいのも、この軽さゆえ。バッハとかビーバーとかやると致命的だもんな。かといってパガニーニやタルティーニをばっちりキメられるほどの技巧性もない。あと、グゥイリム・シムコック(すごい名前)の作品は悪くなかったけど冗長。五分は短くてもいいのではないか。ま、音はキラキラしててきれいでした。

そもそもジャズとプロムの悪いんだよ。ふー。ゴスロックとかシューゲイザー、シンフォニックロックなんかをやったほうがずっといいのに。新規の聴衆も獲得できるしさ。「エピカ」とか「アフターフォーエバー」とかをクラシックからのアプローチで料理するとかいうなら、儂、きっと好奇心でチケ取っちゃうと思う。

ナルニア国物語:カスピアン王子の角笛

儂はたいがいどんな映画でも観る。とくに食わず嫌いはない。んだけど、強いて言えばミュージカルファンタジーにはさほど触手が動かない。いや、それでも観るんだけどね。んで、結果的にがっかりして帰ってくることが多いんだわさ。ミュージカルは劇場で観るもの、そしてファンタジーは本で読むものとどこかで思っているからかもしれない。

とくにファンタジーにかんしてはほとんど偏見。だってさ、自分の想像力で補完しなきゃ非現実の世界ってシラけちゃわない? そういう意味で『指輪物語』三部作は、もんのすごい名作というかエポックメーキングだったわけだけど、それまで当らないとされてきたファンタジー映画がこの期に及んで粗製濫造される結果を生んだという点では大きな罪があるともいえますな。

ナルニア』シリーズは、まさしくそんなAD指輪を代表する駄作。前作はまだしも、今回の『カスピアン王子の角笛』はほんとーうにツマらなかった。ディズニーの限界といってしまえば、それまでなんだけど、ちょっとそれにしてもこいつは映画として成立していないのではあるまいか。「期待して観なければ、それなりによくできてたよ」という声も聞いたけど、儂はダメでしたねえ。確かに美術はよくできてた。でも本格的で重厚なセットが、薄っぺらな演出とシナリオのせいでまったくの無駄になっちゃってるのが悲しい。

なんつーかさ、鼠にアキレス腱を切られて人間が死んでしまうとか、活字でならばともかく映像で見せられると不快感しか残らないんだよな。んで、なによりも、その殺される敵役人間側のキャスティングがみなイスラム教徒をイメージさせる、アラビア系の役者だったりするのが、もー耐えられません。アメリカ→キリスト教ファンダメンタリスト→ジョージ・ブッシュ的な価値観の押し付けが、みごとに原作のクリスチャニズムと癒着してキモチワルイことこのうえない。いいかげん映画としてはこちらも締まりがないんだけどライラの冒険シリーズ『黄金の羅針盤』の反宗教的なプロテストを応援したくなってしまいます。あーやだやだ。

観たあとで相方が、こないだはあんなにブーブーいっていたというのに「 もーいっぺん『Mamma Mia!』を観たほうが、まだマシだった 」と洩らしておりました。激しく同意です。

マンマ・ミーア!

ひさしぶりに放ったらかしておいたGayderのアカウントをあけてみたら、全メンバー宛てにこんなメッセージが。

Gaydar is proud to present a screening of Mamma Mia! The Movie exclusively at the ODEON Leicester Square - Pride London Weekend, 6th July at 7.45pm (show time 8.30pm)
Recreate your favourite Mamma Mia! moments in costume, song and dance. Gaydar prizes and subscriptions for the best outfits. Wind down your Pride weekend celebrations with Gaydar and Mamma Mia! The Movie.


たしかにABBAはマドンナ姐さんと並んでゲイアイコンの特Sクラス。今回も思いっ切りピンクポンドを当てこんだパブリシティですね。まあね、イギリスは『SATC』だって、一日とはいえアメリカよりに先に封切られたくらいだからね。きっと、この企画も派手に盛り上がったことでしょう。 儂は行ってないから知らないけど。

あ、もちろん普通に封切館へ観には行きましたよ。相方と一緒だったんだけど意見は真っ二つに分かれた。

相方曰くは、メリル・ストリープ始め主要キャストがあまりにも素人臭くってミュージカル作品として成立していないのが致命的。だという。儂はむしろ反対に、その素人臭さ、普通の人たちが歌い踊る楽しさこそがこの作品の真骨頂であり、むしろキャストの中で唯一プロのミュージカル唱法を聴かせたアマンダ・セイフライドが世界観を台無しにしていたとさえ思う。と、感じた。島中の女たちが老いも若きもチビも太っちょもみんな揃って大行進する「ダンシング・クィーン」のシークエンスとか、もう、膝がうきうきするくらい楽しかったもん。振り付けは舞台バージョンを手がけたアンソニー・ヴァン・ラースト。よく、わかってらっしゃる! そんなわけで、儂は好きですね。これ。名作だとは思わないけど。

最後の結婚式シーンに登場する、沿道をぼんぼりで飾られた島の教会が夢のように美しかったな。

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